猫だより

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2019年9月10日

■昨今の外猫事情 − 対立はどこにあるか(すべて私見)

外猫の話が出たのでついでにいろいろ。今日は話が長いですよ!

コムギはどこから来たのだろう

(写真と記事は関係ありません)

猫の保護団体が行う主要な保護活動の1つに、猫の不妊手術というのがある。端で見ていて、こういう疑問を持つ人もいるかもしれない。「保護団体は野良猫を片っ端から捕獲して不妊手術してるけど、彼らはいったい何がしたいの? 野良猫を絶滅させたいの?」

これにイエスかノーかで答えるなら、答えは「イエス」だ。

「そんな、まさか。だって、猫を“保護”する団体でしょ? 野良猫を絶滅させるとかありえない!」

でもそうなのだ。ここを見誤ると、物事の筋道が見えなくなる。

タマゴタケ

彼らは本当に本気で、野良猫という存在をなくそうとしているのだ。なぜか。それは、「野良猫は不幸」だから。

「不幸な野良猫がいてはいけない」のではなく、「野良猫は不幸だからいてはいけない」。保護団体は(すべてでないにしろ)そう思って活動している。彼らは本気なのです。

そもそも、猫があまりにも多くの子どもを産むのがいけない。過去、保健所で猫を大量に殺処分していた時代があった。さらに昔は、猫が増えすぎるのを防ぐため、産まれたばかりの仔猫を人の手で「処分」していた(川に流すとか、土に埋めるとか)。不妊手術が可能な現在、これらはもはや認められない。

繁殖を抑制し、個体数を制限すれば、野良猫と人は幸せに共存できるのではないか。保護団体も最初はそう考えていたかもしれない。しかしたぶんどこかの時点で、「野良猫が幸せな生涯をまっとうすることなどありえない」、と見切りをつけたのだろう。現実は厳しい。野良猫はいてはいけないのだ。

なみえ。保護当時はガリガリだったらしい

そういう意味で、彼らの理想は「猫を嫌悪し、野良猫という存在が消滅することを願ってやまない、猫嫌いの人たち」と、完全に一致する。だから実はここに対立はない(もちろん、猫を毒殺するような輩は論外として)。

保護活動家が憎むのは、まず「猫を捨てる人」。そして、「餌をやるだけやって不妊手術をせず、猫を殖やしてしまう人」。こういう人たちのせいで野良猫がいっこうに減らない。

多頭飼育崩壊出身のルナ

保護活動家はまた、「野良猫の存在を許容する、自分たちとは異なる見解の猫好きな一派」と激しく対立している。そういう人たちのことを「無責任」「自己満足」と言って非難する。

保護団体に非難されるこの一派は、猫が好きで、外で猫たちと触れ合うことを楽しみにしている。彼らは必ずしも「野良猫が不幸」とは考えない。むしろ、外を自由に歩き回るのが猫本来の生き方と見ている。

外猫の生活はときに過酷で不慮の死も多いが、彼らはそれもいわば「自然の一部」と考える。そもそも保護団体が餌やりをさせないから、野良の生活が過酷になるんじゃないか。そういう言い分もありそうだ。しかしこの一派は最近どうも旗色が悪い。

捨てられて外で暮らしていた頃のココとノンノ。このあと一族まとめて保護された

なぜだろう。思うに、実際に野良猫による被害を被っている人たち(庭を荒らされるなど)や、猫嫌いの人たち、猫にさほど関心はないが猫がトラブルのもとだと感じている人たち、そのほか現代的な清潔志向の人たちが、「野良猫という存在の消滅」に積極的あるいは消極的に賛同し、保護団体側に付いて、多数派を形成しているからだろうか。そして皆で「餌やりは迷惑!自覚しろ」と非難する。

ココりゃん。別名は「黒いチューリップ」

ここで話を複雑にしているのは、「保護活動に関わる人たちが外の猫に餌をやっていないわけではない」という事実だ。なにしろ野良猫が多すぎて保護団体のキャパを超えているため、猫を保護したくても保護できない。だから、不妊手術だけ施してもとの場所に放すことも多い(これをTNRと言う)。

目的は「野良猫を殖やさないこと」であって、「猫を死に至らしめること」ではない。殖えなければいずれ絶滅するのだから、せめて今生きている、もう子どもを産まない猫については、餌を与えて生涯をまっとうしてもらおう、大目に見てください、という考え方だ。

ノンノ。「家庭内野良」(-_-;

しかし猫嫌いの人たちや、現代的な清潔志向の人たちからすれば、そんなことは関係ない。餌をやっている人間は全部まとめて非難の対象だ。だって、不妊手術された猫だって、庭の土を掘り返しますからね。

黒いチューリップと家庭内野良に押しつぶされる貴公子チャッピー

争いや対立はほかにもある。保護団体どうしでも、方針が合わないか何かで互いに非難し合っているし、猫は好きだが保護団体は嫌い、という人も少なからず存在する。「保護団体は里親希望者に対する要求が多く、しかも上から目線」と感じる人々が彼らとの関わりを避けるため、チャンスを逃している保護猫もけっこういると思う。保護団体を敬遠する人、あるいは保護団体に断られた人は、ペットショップで猫を購入するかもしれない。

マメ子近影

保護団体の人はそのへん、どう思っているのだろう?

この状況はいわば「客の取り合い」なはずだが、私の見たところ、保護団体の人は特に気にする様子はない。要求を減らすとか、里親の適正審査基準を引き下げる動きも見られない。むしろ基準はどんどん上がっている。

たぶんこういうことかな。要求に応じない人、保護活動の趣旨を理解しない人は、どうせ猫をぞんざいに扱って、捨てたり、殖やしたり、うっかり逃がしたりする。結果、野良猫が増えるので、それでは保護活動の究極の目的(野良猫の絶滅)に逆行する。そんな人に猫は渡せない。

ではペット業界のことはどう思っているのだろうか。ペット業界にもいろいろ問題があるらしく、猫が酷い目に遭っているという噂も聞く。猫を愛する保護活動家たるもの、猫を金儲けに利用するペット業界とは、当然敵対しているのではないか?

コムギは行き詰まったブリーダーによって捨てられたという説もある

しかし私の印象では、彼らはペット業界にはさして関心がない。現場の活動が忙しすぎてそれどころではないのだろう。

それに考えてみれば、もし、仮に、本当に、保護活動を行う人たちの夢がかなって「野良猫が存在しない理想社会」が実現すれば、猫という種の存続のためにはどうしたってペット業界が必要だ。そういう意味で、保護活動の究極の目的と、ペット業界という存在は、まったく競合しない。

保護活動家にとって、許せないのはあくまでも「野良猫を増やす人」、あるいは「野良猫の存在を喜ぶ人」。現在、対立の多くはここにあり、ネットでは時折激しいやり取りも見られる。

近ごろは下手すると野良猫のほほえましい写真を撮るだけで非難の的

「野良猫は不幸」が真なら、「幸せな野良猫は存在しない」もまた真なはず。「野良猫が幸せそうに見える写真や映像を撮るな! 人々をミスリードする!」と、ここまでくると、さすがに言いがかりだ。

世の中いろいろ難しい。

せめてうちの中だけは平和に …

と思っているのに、マメ子がうちに通ってくるようになってしまったから、我々夫婦もいつ猫論争に巻き込まれるかわからない。面倒事は嫌なんだけどなあ。


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